①The Flame(永遠の愛の炎)/Cheap Trick(チープ・トリック)
デビュー当時に「千の声を持つ男」「七色の声を持つ男」とも言われた天才的ボーカリストのロビン・ザンダーを擁するバンド、チープ・トリック。
ロック色が強く、どこかビートルズの影響も感じさせるようなキャッチーな楽曲。
それに加えロビンとトムの美少年的なビジュアルも少なからず影響してか、70年代後半~80年代にかけていくつものヒット曲を生み出しました。
特に日本での人気は凄まじく、日本武道館でのライブを収録したライブアルバム「At Budokan (チープ・トリックat武道館)」は日本で売れに売れ、その後アメリカでも4位を記録。
日本から逆輸入される形で、チープ・トリックはアメリカでの人気バンドとしての地位を確立させていきました。
そんなチープ・トリックの楽曲で私が一番思い入れのある曲は、全米が泣きやまなかったほど感動のバラード「The Flame(永遠の愛の炎)」です。
↓Youtube【Cheap Trick - The Flame】
②やむをえず外部ソングライターを起用したアルバム
1980年にベースのトム・ピーターソンが脱退した頃から人気に陰りが見え始めたチープ・トリック。
以降、アルバム1枚ごとにプロデューサーを変えていったりと試行錯誤を繰り返すことに。
そして気づけば1979年にアメリカで32位を記録したシングル「Voices(ヴォイシズ)」から、およそ8年間もTOP40から遠ざかっていました。
そこで所属のエピックレコードがチープ・トリックに主張したのが、外部ソングライターを起用して曲をヒットさせること。
この頃、1985年にハートが8thアルバム「Heart」で、同じく1985年にスターシップがアルバム「フープラ」で、そして1987年にはエアロスミスが9thアルバム「パーマネント・ヴァケイション」で外部ソングライターを積極的に起用し、ヒットチャートに返り咲く現象が発生。
チープ・トリックも外部ソングライターの大衆受けする曲を歌うことで、第一線にカムバックすることを狙ったんですね。
そしてこのタイミングでオリジナルメンバーであるベースのトムも復帰。
こうして多くの外部ソングライターを起用してリリースされたのが1988年のアルバム「Lap of Luxury(永遠の愛の炎)」。
アルバム収録曲の中でメンバーだけで作った曲は5曲目の「Never Had a Lot to Lose(ネヴァー・ハド・ア・ロット・トゥ・ルーズ)」の1曲のみでした。
③バンドにとって唯一のNo.1シングル
このアルバムからの第一弾シングル「The Flame(永遠の愛の炎)」(※アルバムと邦題が同じなのでちょっと紛らわしいかも…)はイギリスのロックバンド、アトミックルースターの元メンバーであるニック・グレアムとブルース・ミッチェルによって作詞作曲されたパワーバラード。
今まで自分たちで作った曲を歌い続けてきたチープ・トリックのメンバーはこの曲を、
「自分たちらしくない」
と嫌い、メインソングライターでもあったギタリストのリック・ニールセンはギリギリまでレコーディングを拒否。
しかし皮肉なことにこの曲は彼らのキャリアにおける唯一の全米No.1シングルとなり、商業的な不振から抜け出すことに成功します。
それでもしばらくはライブで演奏することさえ拒むほどだったので、メンバーはずっと複雑な思いだったんでしょうね…。
④歌詞も泣ける…
イントロのギターのアルペジオからセンチメンタル全開の「The Flame」。
売れ線を狙った曲だなんだと言って離れていってしまったファンもいたらしいけど、私のようにこの曲からチープ・トリックにハマっていった人も多いはず。
チープ・トリックにふさわしい曲か、ふさわしくない曲かどうかは別として、この曲が情感あふれる史上最高のロックバラードの一つであることは間違いありません。
イントロからサビで盛り上がるまでの流れの、いかにも80年代といった雰囲気に胸が熱くなる。
まだ若かった頃の思い出がフラッシュバックして、懐かしさに茫然自失になってしまうほど切ないメロディと、ロビンの感傷的なハスキーボイス…。
ギターソロも特別ハイレベルなことをやっているわけではないんだけど、なぜかすごく胸に染みるんですよね。
この曲はホント泣けます。
数年後に思い出補正された状態で聴いたりすると、冗談抜きで曲の引力から抜け出せなくなりますよ。
まだキミがここにいるような振りをする
キミは最初で最後の恋人なんだ
僕の愛の炎はいつでも燃えている
でもそれで痛い目にあったこともある
キミは最初で最後の恋人なんだ
☆ → ※ → ☆
キミの望みは何でも叶えてあげる